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紛争地帯から生まれた演劇シンポとあむろっち追加LIVEの落差 [音楽・演劇]

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わたしはアムロちゃん好きv( ̄Д ̄)v イエイ!と書くあむろっちファンである。その実体験から考えると、友達以上であることは確かだ。事実上の「愛人」を自認するが、相手のあることだから、そんな傲慢かましたことをいうと、統合失調症と一笑にふされるから、普段はそういうことをひとに話すことはないが、実際には自伝的小説無料公開にあるとおり、ご本人とはかなりあっている。

追記すれば彼女自身が相模原市の某クリニックで医者として会話したしたときのわたしは、かなりまじめに予診の段階でよしもと某役者出身のお笑い中年芸人の役不足(アドリブが全く聞かないし、ひとの話を聞かない)にうんざりしながらも、2時間ぐらい待って、某クリニックの医者の診察を受けた。そのいきさつの断片はところどころでブログで書いているが、それはメモ程度のことなので、読み物としては不完全だ。

しかも当の診療内科クリニックの医者として現れたあむろっちは、わたしの不都合な真実の話にためらい傷のようにまよった。そこでわたしは、ある策をおもいついた。咄嗟の判断で、

「先生、わたしいまカネに不自由していますので、とりあえずある時払い催促なしの5万円かしていただければ、わたしの抱えているの当初の問題は解決するのですが…」

と、話をふってみた。予想通り、先生は

「お金の貸し借りはダメです!」ときっぱりと言い切った。

そこでわたしは、

「ハイ! そうですか?」

とだけ答えた。

その先生役のあむろっちは小顔でいまよりもさらに若く可愛いかったが、わたしへの対抗意識?
はかなり強かった時期だ。なにしろわたしは「創価そうかの連中のしつこさに、つまり世間一般でいわれる、創価の連中のガスライティングや集団での待ち伏せによる嫌がらせなどにうんざりしていたので、かなり精神的にも肉体的にも疲れていたのに、それでも「政権交代」の運動やったり、当時のアパートの不動産斡旋業者の元大阪府知事で現参議院議員になった太田房江に追い回されたり、VEGAさんが太田房江(当時は別名)に連れられて、信用金庫に現れたり、医者に行けばこのようなあむろっちに会うなどの日常茶飯事に疲れていた。

一方でアパート階下の上地と名乗る住人が度重なる、金貸しの追い込みの手口で、アパートの扉にいわれのない貼り紙をしたり、夜中に扉を蹴破る行為で扉の空気口を凹ませたりのいやがらせをしていたので、夜中に自身の安全確保のために警察を三度ばかり呼んでいたのだ。

そのいきさつもブログでかいているが、今回のブログで係るそのようなあむろっちをなぜ、好きになったという理由を探すなら、それは、あむろっちという存在があり、その当人が日常の中に割り込んできた体験がるからということもできるが、本当のところはわからない。ひとを好きになるとか愛するとかいうことは、「恋」というきっかけがあるかどうかだけど、「好き」というのなら、当時もいまも筆記ちゃ好きv( ̄Д ̄)v イエイ!の方が精神的にやすまる。さらにいえば、VEGAさんがつれあいなら思いっきり弱くて甘えたでわがままな自分をさらけだせる、という、思いになるだろう。


そういう、余談をここに付け加えて、この「紛争劇から生まれたシンポ」を頭の片隅に置いておけば、違った原風景がみれるかもしれない、と想っている。(12月26日追記)

たとえば、12月15日に糖尿病の定期健診で吉野・大淀のT医院訪問のあとコッペという、障害者の福祉団体が経営するパン屋さんで食事するのを楽しみにしていたときのことだ。17、18日に名古屋日本ガイシホールで、namie amuro LIVESTYLE2014を控えていた、あむろっちのようなものが健常者スタッフとして、わたしのコーヒーとわたしの選んだパンのレジを担当してくれた。もちろん、そこで待ちぶせのようにしていた友人とランチタイムを過ごす、中にももしかして、あの有名な放送局のパーソナリティに似ているけど、まさかこんな田舎まで来ないだろうとは思ったベテランABCの役員アナウンサーもいた気がする。

そこで、そのパーソナリティはわたしがあむろっちのようなモノと確認したのを知ったのか、食べていた弁当に加えて、アンパンを追加で食べだした。話はさきに行われた選挙結果だったが、聞き耳を立てえいたわけではないので細かい話はわからない。ただ、仲井真元知事の話がでたときに、わたしは少し口をはさんだ。いわく、
「噂によりますと、世田谷で愛人と暮らす家持っていて、沖縄とおさらばすることになっているらしいです」と、いった。新知事の翁長知事の就任の前に最後っ屁のような沖縄防衛局の工事の認可の版を押したのだから、晩節の怪我しぶりは末代まで語られることになるだろう。

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そういう情況でお年寄りの4人組の食事が終わり、わたしはまわりの他のお客もいなくなったことをみはらかって、あむろっちのようなものと雑談をもちかけた。

わたしら年金生活ですから、消費税の8%はこたえますわ。ここは消費税上がっても、ワンコインの500円で美味しい焼き立てパン2個とコーヒーがつくのですから、もっと流行ってほしいですね。しかしこういう施設の経営・運営もここのようにうまくいっておられる例ばかりじゃないですからね。あの村木という厚労省のエライさんの官僚は冤罪で気の毒な体験をしましたけど、あの村木という官僚が「障害者自立支援法」という名の障害者いじめの世紀の悪法を作った官僚で復帰後も順調にエライさんになっておられることは記憶に新しいことです。などという意味の話をした。さらに、自分の息子が自閉症でしかも、知的障害があるので福祉の後退は、施設の運営・経営にも支障をきたしているし、競争原理が働き、ますます民間の私設の運営の施設はその維持がむづかしくなっているのは、よく映画にもなっていますよね。



その後にnamie amuro LIVESTYLE2014追加公演が12月22日23日代々木第一体育館で行われることになっていた。BRIGHTER DAYのシングル・アルバムの追加公演の申し込みをチケットBoardからしていたが、11月28日の抽選結果ははずれだった。それで、縁がないなら諦めようと、たかをくくっていたのだが、事態は思わぬことに起こる。鎖骨骨折の怪我を治すために選挙運動で生駒などに行った以外は行動も制約されていた。しかし、ネットのチケット情報はしつこつピン・ポイントでく広告やメールで誘惑してきた。

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年末連休のことなので、12月に入るとそんなに日にちを引き伸ばせない。そこで、妥協したのが10日前後だった。23日のチケットをヤフオクで落札されていたのだ。その後の座席は最悪に近いが行くことに決めた。そうしたら、「紛争地帯からの演劇」の特別講座やシンポジュウムに燐光群主宰者で劇作家の坂手洋二さんも来られるというので、行くことになった。新宿ビッグ・エッグでは佐藤龍一さんのLIVEもあったのだが、時間帯が重なっていた。ナイジェリアのウォレ・ショインカについては何も知らない。だが、ナイジェリアについては、相模原に住んでいたときに、ナイジェリアレストランで北京オリンピックで日本対ナイジェリアのグループリーグがあったとき、このナイジェリアのレストランで働く女性と顔見知りになり、そのレストランで一緒にテレビを見た経験があったから少し興味をもったからだ。

夜行バスの手配、宿泊費を安くするためにカプセルホテルの予約と進めると、前後のスケジュールも次々と決まった。そして、22日のnamie amuro LIVESTYLE2014の安いチケットBoard券がでたのでそれも落札したら、22日にあったほかの地域のリーディングなども行くのを諦めた。ひとことでいうと、講座は舞台を一度お見たこともなく、リーディングを聞いただけでは、栗飯原踏込(あいあら ふみこ)さんのアフリカ文学研究者のはなしもついて行くのがやっとだった。新井純さんのリーディングは素晴らしい読みで、講談師のように人物を使い分けしているが、宮沢賢治の朗読劇のように原作を読んでいないのだから、その世界観がなかなか飲め込めない。しかし劇的空間の想像力は高まる。

その後のシンポジウムで
「戦争と演劇~ギリシアから20世紀、現代~」というのが行われた。演劇評論家、二人に坂手洋二氏の燐光群主宰者で劇作家の話。テーマは非常に重いがそれを取り上げる視点の問題提議について坂手洋二氏の立場は、なんども燐光群の演劇を見ているので、わかりやすかった。最近作は怪我していて、家主に毎日皮肉を言われていたので、行くのを控えた。

『狂人と専門家』の作家を語るとき、訳者でアフリカ文学の研究者の若い才能は、概要を語る中で自分に正直に、訳者でもわからないことがある、と語っていた。食人文化ということを宗教的儀礼と対峙させるときに、人間の狂気はどこに向かうのかという文学性と演劇性と詩人の理解不可能ともいえる狂気の言葉に現れる魂の叫びとでも理解すればいいのだろうか? 

百聞は一見にしかず まずはそういう舞台を観るのが一番なのだが、今回はリーディングも観る機会がなかった。また機会があればまず、観て感じてそれから少しずつ知識を蓄えて行こう。道はその程度のもんだ。安倍なんとかのように「この道しかない」というのなら、『DoctorX 外科医大門未知子』のようにアメリカに不条理をおしつけられても「いたしません。」と言い切り、

自分のつまり日本独自の政策をするなら、
「あたし失敗しないので。」と言い切る覚悟がいる。それが世界の指導者というもんだ。

それでも、『カウラの班長会議のサイドA』のオーストラリア俳優との共演は立派なセットが組まれ素晴らしい捕虜収容所n日本軍兵士の氾濫への情況がよくわかりまた、被害者のオーストラリアがいかに国際法に則り日本軍捕虜の待遇を維持したのかもドキュメントやテレビドラマではさらっと流れるシーンも掘り下げられており素晴らしかった。

シンポジュウムが始まる前、わたしが入場者の列に並びその後ろにどこかの美女が白い靴下屋のブランドのついた小さな手提げビニールから取り出した白いネットのわっぱのショールを首にマフラーのようにつけた、あの娘が知人に貰ったプレゼント「黒いのはたくさんあるんだけど、白いのは長すぎるのよね。これ、ちょうどいいありがとう」と喜んでいた姿の娘は一体何ものなのか? 

そんなこんなの小さな集まりの「紛争から生まれた演劇」のリーディングと訳者の講演を聞き予備知識のない悲しさ理解できないことを学ぶ第一歩にはなったと思う。

ところで、ウォレ・ショインカはこういう方だそうだ。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%AB

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