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2015-05-11 頭を冷やして、冷静な接客批判と熊紋美子さんとの間合い [blog]

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WOWOWオンデマンドトラブルとDAISOのコピー機トラブル対応に見る人間が接客する資質について。

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生国魂神社の米澤彦八碑(落語発祥の記念)

 あちきは自慢じゃないが短気な方である。子どものときから、それで失敗した経験もたくさんある。しかし、その一方でその傾向をうまく相手に処理されたとき、自分でも思わぬ能力を引き出されて、気がつけば自信になることも多々あった。

例えば今日WOWOWに電話したのは、2台目PCのNOTEパソコンでなかなかオンデマンド画面が出なかった、つまりオンデマンドが映らなかったので、メーン機種のNOTEPCのところの部屋まで行って見ることで解決していた。しかし、昨夜はオンデマンド先行でアトレチコ・マドリードとレバンテの試合が中継されているのをガンバ大阪対サンフレッチェ広島との対戦を見ながらチェックしたくなり、ファイアフォックスから最初オンデマンド画面を出し、オンデマンド画面まで出たのに、生中継画面の前にソフトダウンロードを求められた。それでその画面からソフトをダウンロードして、再度中継を見ようと試みたら、今度はオンデマンド呼び出しができずに画面が真っ黒のままだった。


仕方なしに今度はGoogleChromeで試した。ところがChromeでも同じ状態になり結局テレビ画面でガンバ大阪対サンフレッチェ広島の戦いを楽しみ、同時にリーガの注目カードのひとつの試合を見たいというのができなかった。別の部屋に待機させているPCを持ってくれば可能だが、本来それをしなくて済ますために、Let’s noteで見たいというので、ソフマップの丁寧な応対もあり中古noteで軽くて手頃なのを即決で購入した。


そういういきさつはもし、ボクシングファンなのに、マニー・パッキャオ対フロイド・メイウェザーとの試合を外出先でしか見れない場合を想定しての行動だった。


そういう背景で昨夜、いい場面で部屋をでることをためらい結局ガンバ大阪対サンフレッチェ広島戦の息詰まる攻防を楽しみアウエーで勝ち点3を取って滿足して、その後のJリーグタイムも見た。サッカーファンとして、気になるから、昨日はやべっちFCも生で見ようとその前の番組をチェックした。


そういう背景で疲れたので、生でないテレビのリーガ中継は見なかった。またその後の中継も見ずに寝た。


それで、映らない原因がわからないから、電話をしたのは二回目なのだが、担当者がとにかくキチンと気持よく応対しない典型がでた。もちろん、アトレチコ戦を見れなかった不満があってその電話をするのは気分が悪い。できればやりたくない。他に読みたい本や書きたいことの整理ややりたいことがある。そこで9分かかっても、電話にでた担当者の応対の仕方は私を苛立たすだけでなんの解決もしなかったので、「あなたとは話たくない」と切った。下の洗濯機の毛布干しのことや炊事場の洗い物が気になり、「科捜研の女」の再放送の楽しみをやめて階下でその行為をした。

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上がってくると携帯の電話が鳴った。でて、いらだちのいま「話す気分ではないので、WOWOWと直接的にはかかわりたくない」といって切った。


、もうひとつの例は9日の雨の日にDAISO大淀店でコピー機でコピーを取っているときのトラブルだ。この新しいリコーのコピー機は複雑なセンサーがつているらしく、従来のDAISOの機種以上に扱いにくいので、4月9日に使っていたときも、突然画面が止まったりがあったので、その応対した店員さんになぜ、そのようなことが起るのかわからないから尋ねたら、お客様ご自身のミスですと言われた。


機種の扱いは確かに小さな文字でコピーの端っこに書いてある。しかし、その機能がどういうものなのかが機種変更後でわからない。確かにそういう場合は足を伸ばして大淀の下淵にあるローソンまで行けばよかったけれども、幸い客がその日、9日もいなかったのでコピーで少し時間が多くかかる分量でも問題ないだろうと、撮りだした。


ところが途中で突然、液晶画面がでなくなりモニターが真っ黒になり戸惑った。係員さんが戻ってきて省エネのボタンとかいうのを押した。そうしたら動き出したので、原稿をガラス面に設置して撮りだしたら、途中でA3サイズの画面が自動でA4になっているのに気づいて、また係員さんを呼んだ。今度はいつの間にか省エネボタンを押した店員はいなくなり、この2年間に何度も顔合わせしている係員の店員が応対した。ところが、


 私の「これってまずいんじゃないの。自動で画面がA4に変わったらA3見開きの原稿が撮れないじゃないですか。しかも読めないので、これはどうなるの?」と最初は穏やかに聞いた。この顔見知りの店員はいままで何度かこの百円ショップのすぐに潰れるローソクELDとかカミソリの替え刃ばすぐになくなるのはなんでや。確かに百円ショップはこんなもんだっていう製品が多いのも事実だが、同じ100円ショップでも他のブランド店、キャンデューとかでは良い物も多い。それは確かにDAISOと微妙に商品の差別化している成果なのだが、吉野の大淀にはDAISOしかない。そこで安物買いの銭失いの失敗も多い。

百円だから許される。しかし、コピーサービスの場合のセルフはコンビニでも大差ないというより、機種によって撮りやすいかどうかはかなり差がでる。

相模原では最寄りがセブン-イレブンだったが、どの店員さんがいても、コピー機のお客さんが混んできて、先に撮らしてくださいという方が多くて、後から撮り忘れや原稿のトラブルはあったが、応対でのトラブルは長い付き合いの中で一度もなかった。

しかし、この日の店員の応対は異常に「お客様の確認ミスです」と強調した。それで切れて「だったら金返えせよ!」と文句いった。それからさらに少し冷静になり、何を言いたいかの説明をしたが、なぜかそういうトラブル起こすとその店にも良くないこと起るので、冷静になる前にいった余計なことは本来は不要だったと反省はした。

DAISOの社長の移動販売からのここまでの業態規模になったいきさつを少しは知っている。日本の円の強さでこの異常ともいえる安さの商品群が並び薄利多売方式ができた。この吉野近辺でも橿原方面に向かうとこの辺の店はDAISOの勢力圏になってはいる。

しかし、実はわたしは2013年福岡のキャナルシティで中国系百円ショップの商品の充実ぶりと品質の高さと安さに驚いたことがあった。近辺にDAISOもあったけど店員が片言の中国人あるいは台湾人だけで、百円意外の商品も充実していることを知った。そこで、使っていたディバッグの付け根にトラブルができたので、応急で安くて頑丈そうな商品がその店にあったので買った。税込み1000円だった。安くて縫製もしっかりしているのはその後何度も使っているのでわかった。ブランドがださくて知られていないだけだ。


そういうこともあり、言わなくても良かったかも知れない日本の今後を思う言葉として、TPPなればまずベトナムに負けるし、中国には多くの点でマンパワーで負けている。日本農業の一部は彼ら彼女らのマンパワーで維持できていたことは311福一事故で多くの外国人が帰国したなかに中国人がいたことでも実証されていた。

ベトナムのマンパワーも開放ドンマイ政策で彼ら彼女たちの自由市場経済でのしたたかさについては、多くの旅行者の体験やテレビでも紹介しているので、明らかだ。そこに加えてバングラディッシュやインドのマンパワーが直接的にではなくてもその気でやって来たら、そりゃフェアトレードなどなかなか成立しない。価格競争にまた晒される。シャープやサンヨーの白物といわれる家電の東南アジアでの決定的な失敗は日本では喜ばれることもある過剰機能など、冷蔵庫を例にすれば最低限の機能に特化したほうが彼ら彼女らのいわゆるニーズにあった商品になった。ということで、暑き熱帯雨林が続く気候風土にはまず、冷たい飲み物がたくさん入れる機能が一番売れる商品だということで、ハイアールやサムソンやGLに負け続けた。結果、サンヨーの白物家電はパナソニックに吸収されパナソニックも維持できずハイアールに吸収された。シャープの海外での不振は悲惨でハンファとの吸収合併もできずに、原資で本社も堺工場も売り飛ばすと最近の記事で報道されていた。


つまり、国際競争の激しさは一寸先は闇状態だ。太陽光発電も中国系のサンテックもおかしくなっているらしい。つまり、この先の太陽光発電などもう未来型商品でもなんでもない。20年さきの産業廃棄物なみのゴミ処理問題こそいまから予測すべき未来という状況に見える。つまり、電気代の値上げがないと高価買取りの太陽光発電など成立しないのだ。しかもバックアップ電源がいる。電力会社は知っている。例えば風力発電で100万キロワットの電気作ろうとすれば、日本列島に200キロはつながらないと発電できないことを。しかも安定コントロール発電などできないことも。つまり、偽りの再生可能エネルギーと言う名のゴミ発電が実態なのだ。それなら大阪ガスの高石市にあるハイブリッドの先進の発電機なら熱効率が60%近くになるという。

しかし、東京ガスも大阪ガスもオール電化政策の電力会社に対抗するために、ガスヒートポンプだけでは、商売がきついのか太陽光発電も盛んにPRしているのが現状だろう。

そんなことを常に感じているので、人でなくてもやれることを自動化するならそれは事実上のロボットであり、家電が喋ると、わたしなど気分が悪い。オール電化仕様のHI器具はよくそういうことが起る。水気に弱い。すると次の反応まで時間がかかる。使う安物フライパンにも問題があるかも知れないが、相当注意深く真ん中にしても円形に並べた餃子などは、なかなか均一な焦げ目にならない。

そんなこんなで、WOWOWオンデマンド問題は、解決できるかどうかはWi-FiSPOT使い放題のスターバックスで今度は試すことにする。

そして、原則DAISOには行かない。と決めた。買ったわたしがコピーを使ったわたしの自己責任は正しい。店員さんの言い分はそれでいい。しかし、客のわたしは2度の行かない。例えばあべの橋で必要に迫られれば、地下鉄天王寺界隈のDAISOは利用しない。その代わり、別ブランドの店がアローのシネコン映画館行く方向にあるのでそこを利用するだろう。

それだけのことだ。「怒らずに」行かなければいいのだ。で、コピーのトラブルは下渕ローソンでは実スムーズになんのトラブルもなく済んだ。


ところが、DAISOのリコーの新機種は原稿かぶせるヒンジが弱く扱いにくのに加えて、原稿の移動がやりにくいために、原稿番号の整理がうまくいかずに2列になったりしたから、どじょうはでなかったけどさあ、大変、クロネコヤマトの新輸送の包装はUパックと大差ないばかりか堅牢で安心だったのでそれでお願いした。

いざ、原稿を送るときに原稿のNUMBERが揃うのに時間がかかったが、クロネコヤマトの宅配でトラブルになったことはない。相模原にいたときも集配もよく来ていただいた。少量なのに客が恐縮するほど誰に変わっても応対のクオリティは高かった。そんなことを持込の吉野のクロネコヤマト下市口でも実感した。

原稿確認に手間取り迷惑をかけたのに嫌な顔せず逆に手伝ってくださった。クロネコヤマトのサービスの高さは月刊TIGERSのころから良く知っているが(佐川などはトラブル多かった)その差は宅急便先駆者伝統なのだろう。郵政民営化の一方で郵便事業の独占はいかがなものか、と、消費者は考えるのは当然である。保険は外資優先だ。しかしその実態は損害保険形式。ここまで馬鹿にされて郵政民営化はいよいよ株式放出を外資が本格的に狙いゆうちょと簡易保険でしこたまたまったお金を取りに来る。


ま、世界は不思議に満ちているともいえるし、いちいち怒るのは身体に良くないから、電話も使わないようにすればいいのだ。本当に必要なときだけにしたら、気楽になるな。それでもauのガラ系も使いたいのは諸般の事情の好みというかいきがかりの事情だけです。

しかしコピートラブルの所為で阪神タイガースが広島カープに大敗の3連敗したことを関連つけないでね。

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さて、熊紋美子Tシャツ(くまもん)上着の下に着て買い物をたくさんしたら暑いのとジュース類が重いので難儀して坂道を30分もかけて間借り宅へ戻ったことも、家主がそれでも嫌味いったこともWOWOW応対の下手さに輪をかけて、気分を害したのかも知れない。いまから、この記事書いているPCNOTEでアトレチコ・マドリードの試合見よう。





藤本義一先生への追悼! と通天閣慕情少々 [blog]


藤本義一先生、謹んでご冥福をお祈りします。



浪花の文化人の顔と言えば、『11PM』の司会を25年も務め、さらには「笑の会」で若手芸人や構成作家などを育て、自ら直木賞作家として多忙な日々、浪花文化のためには、見ず知らずの自費出版の作者にも、知己の新聞記者の紹介もあり、断ることもせずに、膨大なゲラを読み、寄稿するという著名人には珍しい方だった。

藤本義一先生は「西の藤本義一」「東の井上ひさし」と並び称され文藝や戯曲などの投稿を続け、
井上ひさしさんをして、うならせた。

浅草フランスの文芸部員になった井上ひさしさんはそこで戯曲の勉強を始め、

戯曲の練習のつもりで、数十篇のラジオ・ドラマを書き、あっちこっちの懸賞に応募していた。昭和32年には一年間の賞金総額が十万円を超し、自信をつけつつあったが、西にさらなる強者がいた。それが大阪府立大学の藤本義一さんだった。なんと「年間六、七十万円の賞金を稼ぐ投稿王がいて、彼と較べればこちらはほんの小物だった。大阪の投稿王は藤本義一という名だ。」と
『四千万歩の男』(五)・講談社文庫の自ら書いた年譜で告白していたものだ。

藤本義一先生がいかに浪花文化に力を入れていたかは、『通天閣30周年の歩み』の寄稿を読めば実によくわかる。何かの手違いで、当時、1987年から翌年の3月にかけて編集企画委員になり、編集に携わったので、手元の資料をあさっていたら、藤本義一先生の貴重な生原稿が出てきた。

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 当時、はるき悦巳氏や水島新司氏に難波利三氏や石濱恒雄氏、その娘さんの石濱紅子さんなどに加えて、村松友視氏の『旅』1983年9月号の”新世界歩き”まで網羅された中、藤本義一先生ほど通天閣にも関わった文化人は少ないのではないかと思ったものだ。


幼年時代から始まる通天閣は初代の通天閣は戦争で鉄材が拠出された。しかし、
「少年時代、通天閣が解体され、その鉄材が戦地に拠出されるのだと新聞記事を見た時、親父は悲痛に表情を曇らせていたが、小学生のこっちは喝采したものだ。その理由は、通天閣がそのまま戦艦のマストになって、威風堂々の図で太平洋に乗り出していくのを想像したからである。高島屋の正面に”撃ちてし止まんむ”とか”一億火の玉”といった大きな 垂れ幕があった時代」を振り返りさらに戦後の焼け跡整理で今宮神社にいた。
焼け跡、闇市での武勇伝はエッセイなどで発表されているが、通天閣体験だけにしぼると、
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蘇った通天閣の近所で「友人たちとコップ酒を飲み、串かつを食い、演劇論を語り、喧嘩と喧噪の連夜を通天閣は見降ろしていたことになる。」
さらに、藤本義一先生の運命は戯曲と出会って加速している。
「『新劇』という雑誌に投稿したのが、はじめて活字になった。題名は『川のある町の青春』という今から考えればなんとも青臭いものだったが、やはりわが青春の記念碑に違いない。舞台は通天閣が彼方に見える道頓堀の外れであった。」
さらに書いた『虫』という芸人村を舞台にした戯曲にも通天閣を登場させていた。さらにさらに「出発の戯曲二作が通天閣と縁深いものなら、映画のシナリオ出発二作もまた通天閣の見える町での物語であった。故・衣笠貞之助監督の『大阪の女』(京マチ子・中村鴈治郎主演)であり、もう一作は故・川島雄三監督の『貸間あり』(フランキー堺・淡島千景主演)であった。いずれも通天閣があらゆる角度からスクリーンに登場したものだ。」

「常に私は通天閣を仰いで自分の人生の設計図を描いていたことになる。」とまでの藤本義一先生の通天閣に対する思いは、通天閣での結婚式の開催の後押しまですることになったものだ。
「とくに一昨年の一回目のときは劇的であった。三組の式が同時進行している時に、突如として風雨が強くなり、横なぐりの雨が展望台の窓硝子を激しく叩いた。そして五分も経過するとカラリと晴れた。大阪湾の海面が眩しく光り、眼下の街は一面に拭われて、これまたすべてが輝かしい街の誕生であった。」
そして付け加えて言う。
「これは、あなたたちのこれからの人生の歩み方そのものの気がする」

この優しさは「笑の会」でもそうだし、上方お笑い大賞などの審査員をしても変わることがなかった。私個人の記憶でも、ナインティナインの岡村、矢部などはデビューの頃から高く評価していたものだ。

ところで、『ニュージーランド一人旅』(山田暉見(一番出版・星雲社)は副題が「75歳からのホームスティ」という”地球言語倶楽部”を提唱していた、元商社マンの紀行日記だが、藤本義一先生はここでも、親しい新聞記者の依頼があったとはいえ、実に面倒なゲラ刷りを経て、巻頭言を寄稿していた。

『この一冊の奥にある意識を    論じるのが現代だ』藤本義一 読書傾向というのは不意に片寄ったものになる。 この 一ヶ月に、伝記、日記の類を原稿用紙四百字詰に換算して三千枚ほど読んだ。こういった傾向は一年に一度はやってくる。 昨年は真夏に戯曲を十作読んだ。読書傾向は、時として雪崩現象を起すようだ。あっという間に、同じ範疇の本に呑み込まれていまい、危うく溺れかける。 今回は、次なる五冊だった。 樺葉英治の”八十年現身(うつしみ)の記”。これは大阪の書店で購入した。 川西政明の”リラ冷え伝説”。これは東京の書店を捜しまわって手にいれて読んだ。 鈴木敏文氏”性の伝道者・高橋鐵”これは作者から寄贈していただいたのを読んで、週刊文春の書評欄に書いた。 そして、小林一茶の日記(文政年間)の資料を読み直して、小説新潮にエッセイを書いた。 この間に、山田輝見氏の”ニュージーランド一人旅(七十五歳のホームスティ)”のゲラを読んだ。ドサッと渡された初稿ゲラは”苦労”が”九郎”になっていたり、また”気候”が”機構”になっていたりで、かなり戸惑った。が、頭の中で文字を置き換えながら、ゆっくり読んだ。一口でいえば、最近流行の”自分史”とは一味違う趣きがある。刻明な記録であり、その文中に短く感想を挟んでいくといった形式のものだ。そして、十年前に私自身が取材で訪れたニュージーランドの各地がなつかしく泛び上がってきたのが楽しかった。 とくに、ニュージーランドで出会うキース・ハーバート。ウッドワード氏との距離の保ち方が興味深い。七十五歳の山田氏と五十八歳の福祉介護員のキースとの会話(やりとり)が面白い。アルコールならなんでも口にするキース氏の姿をやや唖然として眺めている山田氏は、淡々とキース氏の日常を描くわけだが、これはニール・サイモンの戯曲に登場する男二人の友情の味が漂う。そこにはさしたる深刻な話があるわけではない。ただ、毎日の記述が、天候、食事、地名、健康への怯えといったものを順序立って記述されているだけなのだが、一人の男の目を通したもう一人の男の姿が泛び上がってくる。 (中略) 私自身、勤めた経験がなく好奇心を唯一に生きているわけで、現在の山田氏の心境がよく理解出来るのだが、わが周囲の定年後の友人たちに、はたして山田氏の思考なり行動なりが理解出来るだろうかと考えると甚だ疑問になるのだ。 (中略) 都市化と農業化と情報化が劇烈な展開を見せる真っ只中で彼等は自己を喪失していまったのだと思う。既成のリアリティーとアイデンティティが崩壊した中に彼等は呑み込まれて定年を迎えたわけだ。 「一粒の葡萄の一番美味しい果実の部分を企業に食われて、吐き出された種だ。それも土の上に……」 といった友人の言葉が浮かぶ。 藤本義一先生は「この一冊の日記が見失った二つの指標の種火の役目になるだろうという気がする」という、賛辞で山田輝見さんの自分史紀行について、最大級のもてなしをしておられたのだ。

また、藤本義一先生は旭堂小南陵氏(現南陵師匠)が参議院議員への出馬を決めた時には、まっさきにニューオータニでのパーティーに名を連ね後輩へのユーモアに満ちた政界への進出の門出を祝していたものだった。私は熱烈な生き字引のようなタイガースファンと一緒に参加したのだが、その有名文化人がいっぱいいる中、和やかな雰囲気が印象的だったことを思い出す。小南陵師匠(現南陵師匠)には、私が編集実務を担当していた『みるみるみるきんき』(カゴメ大阪支店)という企業PR誌で、




「真面目不真面目講釈”近畿”
『旭堂小南陵の世界』の寄稿をお願いしていた。
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藤本義一先生は大阪浪花文化を語る文化人の鏡のおひとりだったと存じます。安らかにお眠りください。「笑の会」に関わった方々はじめ、励ましお育てになった芸人たちが必ずや大阪浪花文化をより一層豊かにしてくれることでしょう。大阪で生まれ40年大阪で育ったもんとして、そのように願わずにはおられません。

青春の門出、ガールフレンドとの初デートが通天閣であり、茶臼山であり、慶沢園であり、市立美術館の私にも通天閣はいまも大阪の誇りと感じております。

いまはご無沙汰がちですが、奈良・吉野に住まうようになってからも、父の命日には一心寺へのお参りは欠かさないように努力したものです。いま、一心寺シアターは若手芸人の落語会や劇団の文化施設として息づいているのも、頼もしい限りです。
一心寺の墓地から夕焼けに染まる通天閣を見るのは最高の贅沢でした。

藤本義一先生 謹んでご冥福をお祈りします。

福島第一原発敷地内ホットスポット10シーベルト [blog]



福島原発事故の敷地内の高線量は10シーベルト(1万ミリシーベルト)だって。作業員の被曝4ミリ。原発事故の収束は工程表通りらしい。想定内?

未だに放射能ダダ漏れしているんじゃないのか?






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雲のように霧散したデーター。GMAILはどうなの? [blog]



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いや、携帯でもこんなサービスあるんですね。最近、ただでもサービス会社が無料で大容量のデータ保管や、写真や映像のアップできるので、づずいぶん便利になったと思って、安心していたのに、こういう事故あるんですね。驚いた。やっぱり、ただ、より高い物ないということですかね。不安?





田原 印の不潔と腐乱? [blog]

田原サンデーブロジェクトが今日も醜い報道を繰り返した。

オレの個人闘争をやらざるをえない。

本文はこれからだ?

こんなん出ましたけど。(^o^)
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チェックポイント黒点島は怪しい空間 [blog]

いわゆる小劇団の舞台を見るチャンスがほとんどなかったのに、つい最近、竹下景子さんという、ビッグネームが自分から頼み込んで、小劇団(知らなかったので失礼)の舞台に立っているというのに興味を持ち、なんばの繁華街の精華小学校あとの劇場での公演があるというので、昨日、東京から夜行バスで帰り、時間をネット喫茶で埋めながら、やりすごし、精華小劇場に行った。燐光群という劇団主催の舞台で知る人にとっては有名らしい。

12月5日付け(吉野版・朝日)によれば、《「時代の空気と舞台が直結しているのが新鮮だった」。》という竹下さんが、商業演劇ではない舞台に自ら頼み込んで、出演したしたという、舞台だ。

小劇場は200人も入れば満杯になる。それだけに、不思議な空間が支配する。
チェックポイント黒点島」は確かに「時代の空気と舞台が直結しているのが新鮮だった」。(竹下景子さん)の記事のコメントが反映した舞台だった。主人公のヒロコを演じ、黒点研究者や漫画家、その漫画のファンの主婦をシュールに演じ分ける。内容は観てのお楽しみ、自分は私自身の団塊世代の人生を部分的にトレースされているようで、不思議な感動を覚えた。渡辺美佐子さんというビッグネームも出演していた。

いや、この舞台をきっかけに、小劇団の公演が全国にたくさん展開されていること知る案内リーフやちらしをどっさり、貰い、下手したら?(何がやねん!)はまりそうで、ちよっと怖い。下北沢にはいっぱい、劇団があるらしい。

そのまんま東に流れたら、真っ先に行かなければならないのだろうか。

別に宣伝マンではないが、「チェックポイント黒点島」は精華小劇場で19日までやっています。精華演劇祭のvol.5参加作品だそうです。

竹下景子さんのカラスの足跡までくっきり観れる舞台です((笑))。


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安室奈美恵ちゃんファイナル成功! おめでとう!! [blog]

安室奈美恵NAMIE AMURO LIVE STYLE 2006』のツアーコンサートがソロ活動するようになって初めて沖縄コンベンションセンターで行われた。
オイラは今年初めて、年甲斐とかをとっぱらって、追っかけをした。

しかし、ツアー最初の埼玉スーパーアリーナーに行かなかった自分にいつも不満があった。

で、自身の進路転機を実感したことをきっかけに、オイラは8月半ばから下旬にかけて、ヒッキーの埼玉スーパーアリーナーと翌日に安室奈美恵ツアーの幕張公演を追っかけし、その足の余勢を駆って、赤プリ(赤坂プリンスホテル)や神宮に行き、さらに翌日は甲子園の引き分け再試合となった早稲田実業と駒大苫小牧の再試合を観戦するという、ハードなスケジュールをこなした。

いや、その間、周囲(まわり)に美女が次々に現れて、一体、何が起こっているのかさっぱりわからなかった。だけど、HKは小顔で美人で、親切だったし、赤プリの接客女はあまりにもグラマラススカイで、正面見て話すのをおもんぱかった。

しかも、神宮の女性警備員はなぜか、タレントコスプレのようで、頭の中は混乱していた。

だけど、振り返って、ひとつひとつを思い出すと、あのとき、ヒッキーパワーの黒帽子をなぜ、岡田監督に届けなかったのか、とういう後悔もあった。

しかし、オイラはこの3か月の密度の濃さとどこかで、突っ張っているように、からかわれたりしていたようだけど、安室奈美恵ツアーの沖縄での追加公演があったことを心の底から喜んでいる。

もう、内容は書かないけど、オープニングのバイオレット色の衣装、ダンサーの中央に立つ安室奈美恵のカッコいいブレークダンス、ほどよいボリュームのイントロ、オイラはこれだけ、観ただけでも、満足していたが、ファイナルツアーとなった、沖縄の安室奈美恵は、地元ファンにも熱烈歓迎された。

下記はWikipediaの抜粋だが、アンコールで『CAN YOU CELEBRATE?』を歌いだしたときは、紅白のトリで歌ったころを思いだし、感激した。出産後、再び紅白に出場したとき、安室奈美恵の出番だけはしっかり見ていたのだ。
和田アキ子が「お帰り?」と言ったのかな。安室奈美恵は「ただいま?」とか応えて、紅白のトリをしめくくったようなことが、あったような気がする。

はっきりしているのは、人妻になった安室奈美恵だが、魅力が益々出て、可愛いかったのが、頭にこびりついていた。

『CAN YOU CELEBRATE?』
# 第48回NHK紅白歌合戦では、史上最年少(当時19歳)で紅組のトリを務めた。出産・育児での休業を経てカムバックした翌年の紅白(第49回NHK紅白歌合戦)では、ふっくらした姿で1年ぶりに公の前に登場し、2年連続でCAN YOU CELEBRATE?を涙ながらに熱唱した。

いや、バンドマスターのSANOさんの息なはからいで、『NEVER END』を追加アンコール、オイラは安室奈美恵の底力を知り、あの子の涙を見て、涙そうそう、状態になった。宜野湾から那覇へ向かうバスの中で、不覚にも涙した。

畜生、やりやがった。アムロちゃん。スゴイ。参った。いや、このツアーは、ライブならではの真剣勝負をバンドの4人とダンサーが複雑に交わり、変幻自在の選曲や構成順序を変えているのだから、失礼を承知で言えば、大したチームワークだ。

今日、ある週刊誌で棒ダンスのエッセーを書いているのを読んだが、今日のアムロちゃんを含む三人のバーダンスの技は見事なアンサンブルだったと思った。

ファイナルで、難しい技もこなしたように見えたのは、オイラの錯覚だろうか。

ともあれ、N.A最高のファイナル地元で飾れて良かったね。


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ピーターの処方箋とオセロゲームの不確かな展開とAI [blog]

 敗戦ばかりで、リングに上がる前にKOされ、M1参戦もまったく、土俵に上がる前に不戦負け。それでも、オイラは立ち上がることにした。
 知らん顔して、のこのこ京セラドームに顔を出し、再起をはかろうとした。
 まったく持って不本意この上ないが、しょうない。
 
 済んだことはしゃない。また、やり直しや。

ピーターの処方箋を受けないとダメージ大きすぎて再起不能になる。
しかも、タイガースはナゴヤで2連続完投負けや。
逆療法で、UH聞いてついでにAI
の新曲地球がテーマの I Wanna Know.

聴いたら、7回にようやく金本兄貴がツーラン本塁打。

ひとつは勝ってくれると思うけど、

眞鍋ブログフェチとしては、さらっと
独り言書いておきたかった。


ピーターの法則とオセロゲームのどんでん返しと眞鍋ブログフェチ [blog]

いや、ブログの女王は年賀状の女王でもあり、とにかく多忙のご様子。
黄色いTシャツ着てても絆はない?

ともあれ、オイラの関心ごとはここずっと、思い出していたのは
昔夢中になって読んだピーターの法則だ。

ネットで確認しようと思っていてようやく、今日実現した。

Laurence.J.Peter博士の書かれた(実際にはRaymond Hull氏が執筆ーはしがきより)『THE PETER PRINCIPLE』William Morrow and Company 1969(日本語訳は田中融二訳『ピーターの法則ー<創造的>無能のすすめー』ダイヤモンド社・昭和45年1月22日初版)

です。

<ピーターの法則>
 階層社会にあっては、その構成員は(各自の器量に応じて)それぞれ無能のレベルに
 達する傾向がある。(同書P25より)

オイラはいまの環境で無能のレベルに達しつつあるのが、実感の日々なのだ。それゆえに、

オイラは創造的無能の薦め!

の法則にしたがい、いま、人生の終末期古墳の群集墳に片足をつっこみながらな何とか現在社会に適応すべく、、回避する術を探しているというわけです。

そこで秘策?

を考えたんやけど、ナゴヤ当たりは相変わらず、
ULTRA  BLUE
勢力圏で川上憲伸が、10Kなんかやってしまい、
ちょっと、今朝は中日スポーツ以外は見たくない一日になっていた。

だけど、眞鍋ブログ見て、

おそまきながら、寝た子は起きろ!!

なんてひとりごとで、16日午後2時半を迎えた。



眞鍋かをりさんご盛況ですが、ヒッキーはすごいぜ! [blog]

余計なことをブログの女王にいっちゃなんだが、
ヒッキー宇多田ヒカルカラオケ練習してまっか?

本人がライブツアーで歌っても手ごわい楽曲の数々、
眞鍋かをりが歌えてるのか、不思議な気もしないでもない。
もちろん、どっかのサル知恵の神経衰弱で
いつもオオボケかましていた、眞鍋かをりと違う才能を示していたので、
感心しましたが、宇多田ヒカルの歌は止めた方がいい、と思う。

もちろん、ヒップホップはさらに厳しい。

ブログの女王は任天堂DSでの新ソフトで宇多田ヒカルに対抗する方が賢明だと、
思った次第、女優宮崎あおいに対抗はいかがでしょうか?

セカ中のシーンを姉妹?で公開ブログした眞鍋かをりさんなら、

いけるんちゃうかな。


宇多田ヒカル『UNITED2006』ツアーファイナル東京であったとさ。


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